花森弘卓容疑者,東京メトロ白金高輪駅で硫酸事件

花森弘卓(ひろたか)生い立ち!「甘えん坊な幼少期から孤独な人生まで」白金高輪駅硫酸事件

花森弘卓 生い立ち

8月24日白金高輪駅付近で起きた硫酸事件の容疑者花森弘卓が傷害容疑で29日逮捕されました。

黙秘していた本人が少しずつ口を開き、被害者の後輩に対する怨恨から犯行に及んだことがわかってきました。

いったいなぜ硫酸事件のような行動に出たのか、花森ひろたか容疑者の心情を探るため今まで明らかになっている情報から生い立ちをまとめました。

花森ひろたか生い立ち!「高齢父と中国人母の元に誕生」

1996年静岡県静岡市で高齢の父と中国人の母の元で生まれました。父が高齢でやっと誕生した長男だったのもあり、静岡市葵区に手入れの行き届いた庭のある2階建ての邸宅で大事に育てられたといいます。

▼花森弘卓容疑者の自宅写真▼

父方の親族は昔から地元で商売を営んでおり裕福な家系で、父は静岡駅の前に整体院を構える地元で腕利きと評判の整体師でした。母は中国人、近所で美人で目を惹く存在だったそうで東京で勤務医として働いていました。

花森弘卓生い立ち!「おとなしく甘えん坊な幼少期」

幼少期からおとなしい性格で、母にいつも離れずとにかくべったりと甘えているような子でした。家族3人で過ごし夏休みなどの休暇に家族で中国に度々旅行していて、家族の仲はよかったようです。母親が中国人なので親戚の元を訪ねていたのかもしれませんね。

母は東京に通勤して日中は家を空けていたので、昼間は静岡駅前の整体院で過ごします。勤務医だったそうなので夜勤や休日も不在だった可能性もあります。甘えっ子なのに母が昼間いないのはとても寂しい思いをして過ごしていたのかもしれません。

花森ひろたか生い立ち「昆虫好きの小学校時代」

小学校に上がると、朝は父と一緒に整体院に出勤しそこから小学校に通い、夜には静岡市の自宅に帰ってという生活を送っていました。そんな生活なので家の近所で遊ぶ時間はあまりなかったのか自宅近所には友達はいなかったようです。友達といるより学校以外ではご両親といることが多く家族の距離が近かったのではないでしょうか。

花森弘卓が小学校6年生のときに書いた卒業文集の内容です。

五年、六年とも担任は〇〇先生です。 ふだんは厳しく教えてくれますが、両親にはいつも僕の長所だけ伝える事をしてくれているので心から尊敬します。 ○小学校の二年間に一番尊敬していて親しく感じているのは校長先生です。 同じ昆虫好きでいつも親切に話して下さっています。学んだことは昆虫だけではありません。校長先生にはたくさん心を楽しくさせていただきました。

▼花森弘卓容疑者の小学校卒業文集自筆▼

引用元:FNN

上記は卒業文集にあてた一部ですが、文章がとても整理されてしっかりした構成で書かれていることに驚きました。そして文章の中には生物学者になりたいという将来の夢も書かれていたそうです。そしてここで卒業した小学校では2年間過ごしたとあります。少なくとも1度は何らかの理由で転校しているようです。

文章の中で1番気になるのは、2年間で1番親しかったのは校長先生という部分。趣味が合うとはいえひっかかります。もしかしたら他に親しいクラスメイトはいなかったのかもしれません。小学校は特に長い期間一緒にいるので途中から友達の輪に入るのが難しかったことも考えられました。幼少期からお母さんにべったりだったので、同学年や歳が近い子との接し方に慣れてなかったかもしれません。

花森弘卓生い立ち「高校時代、父の急死で母と二人暮らし」

中学校はおそらく小学校の通学と同じように過ごしたのではないかと思われます。中学時代に1つエピソードがありました。同級生の女の子に彫刻刀のような刃物をニヤつきながら向けて、先生と話し合いを持つことになったことがあったそうです。おとなしい性格だった花森弘卓が、危険な行動をしたこのエピソードは原因がわかっていません。

そして高校は私立で大学までエスカレート式の常葉大学付属橘高校に入学します。ここでも無口で目立たない子だったようですが、いじめにあっていたという同級生からの証言がありました。

高校2年生になったある日、整体師の父が病気で急死してしまいました。その後は、まだ高校生の花森弘卓のため、母親が東京の職場を辞め静岡市内に勤務先を移し、母親と花森弘卓の2人だけの生活が始まりました。とはいえ、母は日中仕事で家を空けるため父の空席を埋めることは難しかったのではないかと思います。

近所住民の方が、幼少からずっと母と一緒にいるところを度々みていて、大人しそうに見えたけどごく感じのいい青年という印象だったといいます。

父の急死後かは不明ですが、家庭のトラブルが目撃されます。昼間に自宅前の道路の真ん中で、母親に馬乗りになった花森弘卓がさらに母の首をつかんでいました。人気を察知してすぐ手を離し家に入っていったようです。大切に育ててくれた父親の不在が花森弘卓の心になにか変化をもたらしたのでしょう。花森ひろたかにとって父親はとても大きな存在だったと感じます。

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花森ひろたか生い立ち「琉球大で一人暮らし、母の急死」

母と2人の生活はそんなに長く続きませんでした。高校卒業後常葉大学には進まず、一浪後2016年琉球大学の農学部へ進学し、親元を始めて離れ一人暮らしを始めます。幼い頃から生物学者を目指していた花森ひろたかは、琉球大学の農学部で学業に励みます。ですが、琉球大学の農学部の中で物理系の学科に入学したため、生物の研究ができる学科に転科する意思だったそうです。

そんな中、沖縄にしか生息していない希少な生物をオークションに出してしまい問題になったことがありました。琉球大学時代の友人は、大学時代も昆虫が好きでちょっと変わり者だけど話してみると気の優しい人とおだやかな性格であるという印象でした。人付き合いはあまり得意ではありませんでしたが、1人で行動するのが得意なタイプだったと語っています。

大学ではいくつかのサークルを転々としていたと言います。その中の1つに、演劇サークルに所属していたことがあり同じサークルの仲間だった学生は、「口数は少ない人で割と優しくて、所属している留学生に通訳をしたり何でもできる人という印象が強かった。自然がすごく好きだったそう。」と話しています。

そして大学2年生のとき、映画研究会に入部します。そこで1学年下の今回の事件の被害者に出会います。サークル活動の中で年下の被害者は「おい、花森!」と呼び捨てにして花森ひろたかは「花森さんだろ」と怒ったことがありました。花森ひろたかは「バカにされた」と感じていたようです。

裕福だった父が他界してからも医師の母がいるため生活に不自由なかったと想像できますが、アルバイトもして大学以外にも交流を持っていました。そんな風に大学生活を送っていましたが、4年生のときに唯一の家族である母親が病気で急死してしまいます。

やむを得ない事情で琉球大学での学業を中断し、自宅へ戻りました。大きな存在だった父親を亡くし、残った家族の母親まで亡くして今後どうしたらいいのか彷徨ったと思います。小学校時代から転校を繰り返したせいで何でも相談できる友達もいなかったのかなと思うと、一人で抱え込んだ感情はとても切なく感じます。

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花森弘卓の生い立ち「家族を失い1人きり、静岡大学へ編入」

まだ学生だった花森弘卓は両親を失い、父の兄である伯父が後見人となりました。伯父に生き物の研究を続けたいという意思を伝え、とても珍しい例ですが、2020年地元静岡大学の農学部へ編入できることとなりました。

大学ジャーナリストの石渡嶺司氏は、「国立大学の編入枠はそれほど多くなく、特に農学部を含む理工系はごくわずかしかありません。高等専門学校からの編入枠は一定数あるのですが、他大学から編入する場合は、どのような研究をしたいのか、などが厳しく問われます。この編入枠を突破して静岡大学に入学した花森容疑者は学力や研究などの点では優秀と言っていいでしょう。」と説明されています。

伯父が月に1度様子を見に花森弘卓の自宅を訪問していましたが、あいさつ程度で連絡を密にしていたとは言えなかったようです。大きな家に1人で生活しながら生物資源科学科で昆虫や微生物などの研究を続けます。自宅の庭にも土や水槽を持ち込んで生物を熱心に飼育していました。

両親が生存していた時は自宅の手入れが行き届いていましたが、一人暮らしとなり研究に没頭していたのか週に1度しか自宅に帰らず、玄関周りや庭の植物は伸び放題で荒れていました。しかし、ご近所の住人と会うとあいさつをきちんと返していたそう。

そんな中でも自宅に戻ってきてから友人たちが訪ねてくることもありましたが、徐々に人の出入りはなくなりました。

近所の昆虫ショップ店員との付き合い

昆虫が大好きな花森弘卓は、6〜7年前から通っていた昆虫ショップ店員の元に何度か来店して最後は、半年前の冬に行って店員にカブトムシやクワガタを飼っていた話をしてどうやって生ませるのかとか相談に乗ってもらっていました。

近所行きつけの喫茶店店主との付き合い

2年ほど前から月2回くらい近所の喫茶店に通っていました。いつも1人で昼頃に行き、お気に入りの窓際のテレビが見える席に座り、アイスコーヒーを注文していました。店主さんは優しい子だと言います。そしてアメリカにいる友人が送ってきたというコーヒー豆を、他のお客さんにも出してくださいとおすそ分けしたこともありました。

店主さんが彼女をつくりなよと言われて、「いや〜、彼女を作るのは無理だと思う、僕の彼女は宇宙人しかいないかな?」と冗談半分本気半分のような雰囲気で話していました。1人で孤独に過ごしていた花森弘卓は、ここで店主さんと話すことで社会と繋がっていることを実感していたのでしょうか。

花森ひろたかの生い立ち「事件が起こる前触れ」

2021年4月に被害者の住所を調べようと名簿を探すために沖縄に飛び、琉球大学の映画研究サークルを訪問。上映会を開いていた後輩に名簿を出すように言います。

同年7月下旬頃、東京港区六本木の路上で被害者の男性に声をかけました。「おまえ、ばかにしていただろう」など大学時代の自身に対する態度などについて不満を繰り返し訴えた後、近隣のこうえんで話をして2人は別れます。

犯行5日前の8月19日15時頃、常連の喫茶店に行き珍しく他のお客さんに話しかけカブトムシが2万円で売れたと嬉しそうに話します。将来の夢も語っていていつもと違う雰囲気でした。「僕はサラリーマン向きじゃないし、日本では自分のスキルや知識を生かせないから海外でやりたい。アメリカか中国で就職したい。」と自分の考えを語っていました。

犯行当日の8月24日朝9時頃、自宅前を通りかかった隣人が見た光景は、いつもは放置されていた玄関や庭の植木鉢が転がっているのを起こしてきちんと並べたり、足の踏み場もないくらい散らかっていたのを綺麗に整頓していました。

最後に目撃されたのは、自宅で掃除をしている姿でした。とても生真面目な姿がここにある行動から見えました。喫茶店で自分の夢を語ったり、いつもとは違う行動をとっていましたが、前向きな姿勢を見せていたその心の中は、いったいどんな心情だったのでしょうか。

少なくとも両親を亡くし、大学でも周りと溶け込めなくて浮いていた花森弘卓容疑者。孤独や幼少期の家庭環境、そしていろんなエピソードから垣間見えることは、小学生の頃からいじめを受けていたけど、誰にも相談できずに悩んでいたかもしれません。せめて1人でも真摯に耳を傾けてくれる人がいたら極端な行動を避けれたかもしれません。

そんな状況で頑張って生きていた花森弘卓容疑者と被害者の関係、犯行に至る意思を固めさせたものは一体何だったのでしょうか。ただタメ口だけでこのような事件を計画したとは考えにくいので、本人の心をひどく傷つける何か重要な話がまだ隠されているのではないかと思います。

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